誰かのために生きている

アクセスカウンタ

zoom RSS 節目の戦後70年

<<   作成日時 : 2015/08/15 03:44   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

毎年、お盆のこの時期になると恒例の第二次世界大戦に関する番組が多くなる。今年も戦争に関する特別番組が多く放送された。特に戦後70年という節目となる今年は、戦争体験者の高齢化に伴い、これまで封印されてきた経験談が数多く報道された感じがする。70年という永い時間の経過で、ようやく語ることが出来た経験談が得られたように感じる。
体験談を語った多くの方は、当時10代後半から20代前半の若い純情な頃だった。若く、何をしても楽しい頃で、反面自分を主張する術にはあまり長けていない時期である。
興味深い発言は、戦争体験者が目の前で起こる“人の死”に対して悲しい感情が起こらなかったという発言が多かったということである。現実を受け入れるにはあまりに過酷であったのも当然だろう。
異常な状況では、現実に対して無関心になろうとするのが、自己防衛の方法として潜在意識の中に芽生えたのかも知れない。
目の前に起こる受け入れ難い事実に対して、感情を出さないことで精神的な平常を保とうとしたのかも知れない。
体験談には、人間の本質を語ったものもある。それは“鬼”などで、異常な状況下では自己中心的にならざるを得ないというものである。
一方では、今では考えられない思想教育のために、あまりに惨い自決行為が数多くあり、生きる希望を絶たれた状況の中で生き延びた方々は、二度と同じ不幸がないことを願って止まないのである。それが封印されてきた事実を語ることに繋がっているのである。

異常だったのは、日本の軍国教育だけではない。
アメリカが投下した2つの原子爆弾は、もはや人類同士の争いの範囲を超えたものではなかっただろうか。その殺傷能力はあまりに高く、さらに一時では終わらない放射能の影響を今なお残している。
これを止めることが出来なかったのは、永い人類歴史の中で最大級の汚点と言っても過言ではない。当時は原子爆弾の開発が人命よりも優先された。その実験として戦争が利用されたのである。

日本は、その後は不戦の誓いを憲法に盛り込まれて、現代に至っている。毎年行われる記念行事や歴史認識に関する政治のやりとりが均衡を保って平和を維持している。
一方、戦勝国のアメリカは今も世界のどこかで戦争を続けているのである。

月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
節目の戦後70年 誰かのために生きている/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる